こんにちは。キューティ(@yaken_to_issho)です。
みなさんは、世界的な名著「夜と霧」を読んだことがあるでしょうか?
私はこの本を読んで、とても衝撃を受けました。
第二次世界大戦時の悲劇を描かれたものですが、その苦しみの心理描写は、なぜか現代の孤独と苦しみに通じるものがあります。
フランクルの思慮深い語り口が現代の私たちの苦しみに寄り添い、考え方の突破口を与えてくれますよ。
生きづらさを感じている人に是非読んでいただきたい世界的名著「夜と霧」の名言をご紹介します。
フランクル著「夜と霧」の名言が現代人に刺さる
『夜と霧』(よるときり、ドイツ語: Ein Psychologe erlebt das Konzentrationslager、英語: Man’s Search For Meaning: An Introduction to Logotherapy)は、1946年に出版されたヴィクトール・フランクルによる書籍である。第二次世界大戦中にナチスの強制収容所に収監された経験をもとに、人生の目的を明確にし、その実現に向けて没頭する心理療法を紹介している。
日本語訳はみすず書房が出版している。-引用:Wikipedia
・英語版のタイトルは『Man’s Search For Meaning』(生きる意味を探す)
・日本語を含め17カ国語に翻訳され、60年以上にわたって読み継がれている
・発行部数は、(20世紀内の)英語版だけでも累計900万部のロングセラー
・「言語を絶する感動」と評され、「読者の選ぶ21世紀に伝えるあの一冊」3位、「私の人生に最も影響を与えた本」の9位にも選ばれる
・精神科医のフランクルの約2年半の強制収容所生活を1946年に一冊の本として出版
フランクルの名言だらけ「夜と霧」:あらすじ
第二次世界大戦のナチス支配下の強制収容所。
オーストリアで病院勤めをしていた精神科医のフランクルが、ナチスドイツの統治によりユダヤ人がドイツ人を治療することが禁じられ、病院を解雇され、強制収容所に収容されます。
ユダヤ人であったフランクルは、テレージエンシュタット収容所(チェコ北部)やアウシュビッツ強制収容所(ポーランド南部)、ダッハウ強制収容所(ドイツ南部強制収容所での極限の生活のなかで、さまざまな人々がどのように生き、また死んでゆくかを克明に描き、またそこからどう生きるべきか?が語りつくされています。
「夜と霧」の名言を読むには:「新版」と「旧版」がある
どちらも読んでみましたが新版はたいへん読みすすめやすくなっており、人に薦めやすいものでした。
旧版は、戦後まもなく出版されたものであるため当時の臨場感を感じられる文章であり、強制収容所内の白黒写真が説明とともに載っており、たいへん衝撃的なものでした。
悲惨な歴史を感じられます。
個人的には、看守をしていた人の妻が作っていた手作りのランプシェードのエピソードが衝撃的でした。
日常の中にも狂気が思い切り入り込んでいたことを感じさせられます。
20世紀の名作:フランクルの「夜と霧」名言を味わう
「夜と霧」は、戦争の悲惨さや人間の残酷も克明に描かれており、気軽に読めるような本ではないのにも関わらず、何度も読み返したくなるような名言が散りばめられています。
それは一見平和に見える現代社会で生きる私たちにも「心が壊れてしまいそうな絶望」が、「逃げられない強制収容所のように感じる場所」が、すぐそこにあるからかもしれません。
フランクル「夜と霧」名言:「人生」が私に期待するものとは?
我々が人生の意味を問うのではなくて、我々自身が問われたものとして体験されるのである。人生は我々に毎日毎時間問いを提出し、われわれはその問いに、詮索や口先ではなくて、正しい行為によって応答しなければならないのである
ーヴィクトール・E・フランクル「夜と霧」より
これが、夜と霧の中で最も重要な一文だと思います。
かみ砕いていえば、「自分が人生に何かを期待するのではなく、人生が自分に期待していることを一生懸命やる」ということです。
フランクルはこれを「コペルニクス的転換」と言っていますが、さらにわかりやすく言うと、通常の生活の中では、「○○したい、○○だったらいいな。」などと、「私」が「人生」に対して常に何かを期待しています。
しかし、強制収容所の中では、明日の命すら期待できない状況です。
フランクルが自分を保つために行ったのは、未来の自分をイメージすることでした。
未来の自分が壇上に立ち、収容所での極限状態から学びえたことを聴衆の前で語っている場面を想像しました。
そしてそれが、「人生」が「フランクル自身」に対して期待していることだと考えたのです。
過酷な収容所を生きのびて、世の中に自分が体験し学んだことを伝えることです。
それは、ほかの人にとっては、自分の子供から一緒にいてほしい、サポートしてほしいと頼られることかもしれません。
「自分→人生」ではなく、「人生→自分」に180度見方を変える、ということでどんな状況でも、自分を見失わずいることができるのではないか?と語っています。
フランクル「夜と霧」の名言から学ぶ
何人も彼の代わりに苦悩を苦しみ抜くことができないのである
ーヴィクトール・E・フランクル「夜と霧」より
これは、日常生活においても感じられることですが、目の前の問題に対してすこしでも目をそらそうとすれば、それは人間の生きる力を徐々に奪ってしまうものになるということがあります。
収容所では、過酷すぎる現実から目を背けようとした人々が、次々に生きる力を奪われ、実際に肉体も死に至ってしまうという描写が頻繁に出てきます。
ある収容所では、「クリスマスまでに戦況が変わり、家に帰れるだろう。」という噂が広まりましたが、実際には解放されることはありませんでした。
そしてクリスマスから年末にかけて非常に多くの死者が出ました。
理由は、クリスマスに家に帰れるという希望が完全に否定されてしまったからです。
不思議なことですが、人間の精神が肉体にも多大な影響を与えるということが、この本の様々なエピソードから理解できます。
このことから、少しづつでも、うまくいかなかったとしても、目の前の状況に対して、自分なりに精一杯考え、行動していくこと自体が、人間の生きる支えになってくれる、ということです。
それは現代に生きる私たちでも感じられることだと思います。
目の前の問題から逃げない、という姿勢こそ大切なものだということ。
その問題から目をそらし逃げてしまうと、それが気持ち悪くどこまでも人生を追いかけてくる感じはよく分かりますよね。
私を殺さないものは私をいっそう強くさせる -ニーチェ
これは、収容所での経験に真正面から向き合ったフランクルが言いたかったことが、キレのあるニーチェの引用で表現されています。(これだけシンプルな言い回しで表現できるニーチェって、ほんとに天才だなって思います)
フランクルの身に起こったことは、人生において起こる、様々な困難、困難というにはひど過ぎるものもありますが、どんな出来事に対しても逃げないでいられた人間は、それ以前より精神的にずっと強くなれる可能性があります。
それは、強制収容所だけではなく、現代では学校や職場でのいじめや、家庭内での虐待などを自分なりに消化できた人、消化しようとし続けること自体が自分を成長させ、新たな視点を持てるようになるのです。
暴力の連鎖:解放された後に残る、哀しい心の歪み
フランクルが語った収容所でのエピソードや心理描写など、目をそむけたくなるようなものがたくさんあります。
その中でも私の印象に残っているのは、収容所に連合国軍がやってきて解放されたあと、ある収容者が麦畑に出ている芽を踏み潰しながら歩くシーンです。
その収容者は、「自分はずっとひどい目にあってきた、だから麦の芽を踏むぐらいいいはずだ」と言います。
これは、虐げられた人が加害者になってしまう家庭内の虐待の連鎖、いじめの連鎖の根幹がこの一言に詰まっている気がしませんか。
自分の受けた暴力を他人にも与えてしまう。
それは、想像もつかないつらい現実を生きてきた人々から自然に出てくる生の論理でしょう。
そのロジックを超えるには悲壮なほど自分の苦痛を見つめ、徹底的に消化しなければいけません。
フランクルは収容所での出来事を彼なりに消化しようと試みました。
しかし、全員がそれをできるわけではないことがこのエピソードから読み取れます。
「夜と霧」名言:「人間は最後まで、自分がどういう人間でいるかを選べる」
わたしたちは、おそらくこれまでのどの時代の人間も知らなかった「人間」を知った。では、この人間とはなにものか。人間とは、人間とはなにかをつねに決定する存在だ。人間とは、ガス室を発明した存在だ。しかし同時に、ガス室に入っても毅然として祈りのことばを口にする存在でもあるのだ。
ーヴィクトール・E・フランクル「夜と霧」
フランクルはこの本の中で、なんども人間の品位について語っています。
全てを奪われても、自分がどう振る舞うか、という選択だけは残されていると。
例えば、収容者の中には、自分のために他人を犠牲にしようとする者もいる反面、最後まで他人を気遣って亡くなる人もいると。
また看守の中にも、収容者に対してひどい行いをする者もいれば、食料を自腹で調達し、分け与え、決して収容者に手をあげない者もいたそうです。
参考文献 ; ヴィクトール・E・フランクル 夜と霧
フランクル「夜と霧」の名言:まとめ
この本は、人間の本質について深く語られているために、現代社会でも十分応用できる捉え方がたくさんあり、人間関係に悩んだり、落ち込んだときに読み返したくなる一冊です。
芸能人、有名人、スポーツ選手などがこの本を愛読書にしていると語っています。
まだ読んだことがない方は、ぜひ読んでみることをおすすめします。
コメント